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鶴田浩之の個人ブログ | since 2005

Tag: ブログ

僕の人生の登場人物たち

今回旅したインド、そしてラダックとヌブラの16日間に関して、ブログでは書ききれないような細かいストーリーはたくさんあるけど、あまり多くを語ることはできないと思う。僕が体験した出来事と、心の中に確かな居場所を作っているこの恍惚感は、言葉や文字で表現しようとするとどうしても陳腐なものになってしまって、どうもしっくりこないんだ。実際にその場にいて、肌で感じられたものは、言葉や写真から伝えられるものと何十倍も乖離していて、それを正確に伝えることはできない。今ここで文章や言葉として正確に形できずとも、それは確かに僕の中に残っている。僕のこれからの人生の中で、何かのきっかけで(例えば匂いとか、目で見たものとか、音楽から)ふとあの時の日々が蘇ってきたり、些細だけど、そういうのを少しずつ楽しみにして生きていこうと思う。断片的であれ、この経験を少しでも友人や読者の皆さんとシェア出来ればと思い、ブログで16回に渡って記事を書いてきた。そしてこれが17回目、最後の記事になる。

出会った何十人という人々、ひとりひとりにそれぞれ長い蓄積された人生のストーリーがあって、僕がそんな人たちの人生の、ちょっとした登場人物になれたことが、僕は嬉しい。僕の人生の登場人物は、例外なくみんな素敵な人たちだ。この16日間は1年間の4%で、時間の長さでいうと人生の0.05%でしかないかもしれない。でも濃さでいうと、間違いなくその10倍、20倍以上だと確信を持って言えるだろう。

ラダックに来てから、わずか1週間前のバナラシでの出来事が遠い昔のように思えるときがあった。時間は必ずしも同じスピードでまっすぐ横に進んでいるわけではないのだろう。それが、人間が持っている感覚の勝手な解釈によるものだとしても同じことだ。往々にして、僕らは人生の中で、日々の世界に対する向き合い方や考え方、小さな物事の選択の違いの積み重ねによって、時間をかけてゆっくりと変化していくものがある。それは良い方向にも、時として悪い方向にも向かっている。人間性の本質、核のようなもの(それはそこにあった)と心が触れると、その自分の今いる場所や、無意識的に向かっていた方向が分かったような気がした。

自分探し、では決して無かった。自分自身は、自分がどこに行こうと、どこに逃げ隠れしようと、必ずそこにいる。もがいても仕方がない。彼は、僕が向かおうとするところに先回りをして待っているようなものだった。だから自分とこの世界のすべてを受け入れるしかない。一人だからといって、寂しくなんてないのだ。僕が訪れる旅先には必ず、自分自身が立っている。そしてそこには、きっとたくさんの登場人物が近くにいて、彩りを添えてくれる。過ぎ去っていくものだとしても、それは必ずあるし、あったものだ。自分探しではなく、何よりも、ある種の事実に気づくことが重要だった。それが楽しく生きるヒントになる。それを彼らは改めて教えてくれた。

インドは奥が深く(いや、はたして奥が深くない国や、文化があるのだろうか? 地球上に起きているすべての出来事はすべて関連しあっていて、全部太いパイプでつながっている、だから面白い)人々が愉快で、優しくて、エキサイティングな国だった。2度目の旅にして、もっとインドが好きになった。インドとは少し趣の違うラダック、ヌブラという土地もますます好きになった。そしてまた2〜 3年のうちに訪れると思う。次はどんな旅をしているかな。次はどんな人と旅しているのかな。どんな人と出会っているのかな。そう考え始めると、ワクワクする。うん、今日から、いますぐから、僕にはやるべきことがあるみたいだ。

2010年インド・ラダックの旅の記事一覧

時間がある方、インドや旅に興味のある方は、もしよろしければ最初から通して読んで頂ければ幸いです。だいぶ長いですが笑。しばらくの間は、加筆や修正を行っています。
インドについての質問や、記事の感想などがあれば、こちらの記事にコメントをしていただくか、 2mocchicc@gmail.com(先頭の2を抜く)宛にお便りをください。読ませて頂きます。

最後に、一緒に旅をしたアイとマナミをはじめ、見送ってくれておかえりと言ってくれたみんな、ブログ読者の皆さん、Twitterの皆さん、その他大勢のお世話になった皆さんに感謝!

【ラダック2010】レーでの日々

レーには8月10日〜12日と、16日、17日に計5泊、滞在した。
13日〜15日はヌブラ谷に行っていたけど、その記事はあとで書くとしよう。

8月12日はレーの僧院で集会が行われ、多くの人々が集まった。

洪水発生から1週間となった今日、犠牲となった200名以上の人々へ祈りを捧げる儀式に参列し、
その後はチャイや食事が振舞われた。

夜、宿のキッチンを覗くとおじさんが、カレーをつくっていた。「おいしそう!」と話かけてみるも、英語があまり話せないみたいで、基本的に無愛想。でもたまに、何かの拍子で笑顔になるのが分かって、どうにかこのおじさんを笑わせようとしたものだった。

チャパティーを焼いてくれる。こうして直火で焼くらしい。綺麗に膨らんでいた。「食べたいな、食べたいな」って駄々をこねてたら、たっぷりバターを塗って、カレーと一緒にくれた。ありがとうおじさん。

表情は・・・怖い。ハリウッドで俳優になれそうだ。笑。「何歳?」って聞いたら「32歳」って答えた。謎多きおじさんだ。

GESMOレストランでの朝食。2年前もそうだが、今回、朝ごはんはほとんどGESMOで食べた。滞在中5〜6回はお世話になったと思う。ここの朝食は美味しい。オムレットが特に好きなんだ。ハニーも美味しい。この店は、ラダック人というよりも、ネパールから出稼ぎにきている10代〜20代の若い青年がお店を切り盛りしてる。だから同世代の僕らには気さくに話しかけてくれて、楽しい時間を過ごせた。

ふたりともネパール人(20歳)で、よく話してくれた。夏の間だけラダックに出稼ぎに来ている。

ラダッキのアンモと、チベット人のお母さん。2年前に訪れたときこの2人に出会って、寒くて震えてる僕を見て、温かいチャイをくれた。本当に嬉しかった。お母さんには子供がいて、2年前は小さくて抱かれてたんだけど、今は一人で走りまわってるほどに。2年経って、子供が大きくなるのを見るとなんだか微笑ましかった。これからラダックを訪れるたびに、この子の成長を楽しみにできる。

レー滞在の最終日、髪を切りにいった。僕の写真はないけど、かなりショートに切ってもらった。おかげでもみあげがスパッと切られてしまったけど、100ルピーでさっぱり出来てよかった。GESMOレストランの隣にあるこの理髪店、人気のお店(?)らしく、いつも行列ができている。あれは客なのか井戸端会議なのか。

最終日に宿で出会った二人。インドのニュース番組「DDニュース」のカメラマンとレポーターで、今回のラダックの取材のためにきているとのことだった。パナソニック製の大きなカメラと、放送前の未編集映像を見せてくれた。右がレポーターで、確かにテレビに出ている有名人。放送前の映像を見せていいのか?とか思いながらも、彼のマシンガントークに2時間くらい耳を傾けていた。

最終日にGESMOで食べたChiken Sizzler. 熱々の鉄板に載せられて,ジュージューと心地良い音を出しながら出てくる。

レー滞在の最終日(8/16)の夜、ラダックに長期滞在されており『ラダックの風息 – 空の果てで暮らした日々』著者の山本高樹さん(写真右から2番目)と一緒に食事をした。僕がもともと2年前にラダックを知り、行ったのも、山本高樹さんのブログを見た影響だ。彼とは日本では2度ほどお会いしたことがあったけど、ラダックで会うのは初めてだった。彼は洪水の時はカルナクでトレッキングをしていたそうで、豪雨で死ぬかと思ったよ、と話してくれた。

彼の著書『ラダックの風息 – 空の果てで暮らした日々』は、ラダックで暮らした日々がまとめられている。ラダックに興味を持った人は、ぜひ読んでもらいたい! また山本高樹さんのラダック滞在記ブログ『Days in ladakh』もあわせて読んでもらえたらと思う。

レーからデリーへの帰路(8/17)、朝の飛行機は、フライトが4時間も遅れた。あの何も無いレー空港で過ごす4時間は,とてもとても長い。

レーでの日々は,こんな感じだ。

2010年インド・ラダックの旅の記事一覧

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