2010年8月10日、2年ぶりにラダックにやってきた。ラダック、まずその名前が好きだった。僕はしばしば名前を聴くだけで直感でそれを好きになることがある。地名も、人の名前も、本の名前だってそう。「Ladakh」すごく素敵な地名だった。そこの空気が好きだった。空が近い。気温15度。涼しい。湿度0パーセント。息を吸うと、ノドが一瞬で乾く。空気が薄い。標高3500メートル。富士山八合目。心臓が高鳴る。

その日は午前3時に目覚ましをセットし、午前4時にデリーのメインバザールの宿を出発した。まだあたりは暗い。渋谷は眠らない街だが、ニューデリーのメインバザールはしんとしている。手配していたタクシーが来なかったので、別のタクシーを呼ぶことに。朝方は道路もすいていて、30分ほどでインディラ・ガンディー国際空港についた。ジェットエアウェイズの窓口でチェックインを済ませ、セキュリティチェックを済ませ、1時間ほどの待ち時間。空港内ではトランジット客の多くがソファを占領し横になっていた。定刻出発。数日前のラダック洪水の影響で、繁盛期にもかかわらず搭乗率は20%未満だった。普通この時期は航空券も取りにくく価格高騰しているというだけあって、不思議な感じがした。デリーからレーまでのフライトは1時間30分弱だが、BREAK FASTが出される。ジェットエアウェイズの機内食はまずまず美味しい。

40分ほどすると、5000メートルを超えるヒマラヤの山々の景色が一望できるようになる。当機はインドの辺境、ラダックに向かっている。

レー空港に到着して、パスポートの登録を済ませ、タクシーでレー市街地に向かう。タクシーの運転士は、粋な25歳のハリー。ゲストハウスにも案内してもらった。1週間しばしば会ったが、いつもテンション高くてうるさかった。笑

レーでの宿は、「SANGAYLAY GUESTHOUSE」3人で、1部屋400ルピー。庭があって綺麗なところだったし、ホットシャワーも出るしトイレも綺麗だということで決定。メインバザールまでは10分ほど歩くが、騒がしいより静かなほうがいい。騒がしいのはデリーで十分だ。

「ジュレー」「ジュレー、アマレ」

宿のお母さん、Phunchok Dolma。笑い方が素敵な人だった。

今回の旅で、挨拶程度のやり取りならラダック語を話せるようになった。「ジュレー」とはラダック語で、こんにちは、ありがとう、さようなら、いろんな意味を持つ。アマレはお母さん、アチョレはお兄さん。

庭は綺麗に手入れがされていて、花が咲き乱れている。桃やアプリコットの木も生えていた。

ゲストハウスの飼い犬。ゴンちゃん。(名前は僕らが勝手につけた)かなり老いぼれで、足を引きずりながら、1メートル歩くのに1分くらいかかっていた。おとなしくて可愛い。近寄ると逃げていったが、最後の日に僕は「お手」を習得させることに成功した。

同じ宿に泊まっていた他のお客さん。デリーからマナーリを経由して、3日かけて車でラダックまで来たそうだ。5000メートルの峠を超える道。職業はドライバーらしい。いい人たちだった。ラダックは住んでいる人もそうだが、訪れる人たちも、みんないい人たちだ。

ゲストハウスでチャイをもらい、彼らと一通り世間話を済ませて、眠りに入る。

ラダックは急に3500メートルの高地に入るということで、多かれ少なかれ高山病の症状が出る。慣れるために、初日はゆっくり安静にするのが鉄則だ。無理に歩くと頭痛や吐き気がする。1リットルの水を飲んで、4時間ほど眠る。

それからメインバザールや、あたりに散歩に出かけた。懐かしい。レーのメインバザール付近は、洪水の被害は特に見当たらないようだった。人々は変わらず生活をしているようだった。でもそれは、レーのメインバザールに限った話だったと、後になって知る。

女の子のほうから「ジュレー」と声をかけてくれたから、
写真を撮ってもいい?ってラダック語で尋ねたら、快諾してくれた。

1時間ほど散歩し、ゲストハウスに戻って、少し早めにご飯に出かけた。

夜は、GESMO RESTAURANTでVEG. Thukpaを頂く。トゥクパ。チベタン料理だ。うどんのようなもの。店には、洪水の被害の影響か、チキンが一切無かった。だからチキンを使ったカレーやタンドリーチキンはすべてクローズ。でも僕はあっさりとしたチベタン料理が好きだった。インド独特のあのスパイシーな味に飽きた頃、チベタン料理を食べるとほっとする。優しい味だ。

そんな感じで初日はのんびり過ごした。

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