最近まわりでは、いろんなプレゼンテーション系のコンテストが開催されたり、ピッチトークが流行ったりで、プレゼンの振る舞いやスキルについて重要視されている感じが伝わってくる。僕が去年書いたプレゼンテーションについてのブログ記事も、予想以上に話題になった。時代がそれを求めているんだと思う。

ときどき学生の中でも、プレゼンが上手な人がいる。僕の大学では、みんなKeynoteを使いこなしているし、プレゼンが成績につながるような授業も多いから、気合いの入り方も違う。聴いていて驚かされたり、尊敬するような同世代のプレゼンをいっぱい見てきた。頭を捻って企画を考え、時間をかけて淡々と資料を準備し、その日までにたくさん練習もしてきたんだろうなと思う。あるいは、もともとセンスのようなものが備わっているのかもしれない。

でも実際に、1対1でじっくりと話す機会があったりすると、何か違和感を覚えるときがある。あれ、あんなに聴衆を魅了していたのに、向い合って話すと、何かが違う。ときどきだけど、そんな人に出会う。

プレゼンとは、思考が束ねられたアウトプットの場として、確かに重要なイベントかもしれない。発言する言葉一つ一つに蓄積されたストーリーの重みがあって、だからこそ大きな影響力を持つ。100人の前で話をするとき、気合いの入り方というのは、確かに100倍違うのかもしれない。僕だってそうだ、聴衆が多ければ多いほど自然と気合いが入る。

でも1人だろうが100人だろうが、聴き手にとっては、最初に聴く話であることには変わりがない。

複数人を前にしたプレゼンテーションよりも、まず大切にするべきは、1対1の人としてのコミュニケーションだということをつくづく感じている。プレゼンのスキルとか、技術的な部分は、たぶん二の次でいい。ビジネスの企画や、人の心を動かす作品の多くは、複数人に語られたプレゼンがきっかけではなくて、1対1の会話の中から生まれたりする。

僕が心惹かれ尊敬するのは、目の前にいて、いつも新しい発見をくれる人だ。それはいわゆる凄い人、だからじゃない。友達だったり、近い存在の人だったりする。メディアや、インターネットではない。講演やトークイベントを通してでもない。人は、目の前にいる人から一番大きな発見を得る生き物だ。

1対1で話すと、何度も似たような話を、繰り返さなければいけないことがある。たとえば広報活動の一環としての取材対応や、投資家に話をするときも、同じような質問を何度もぶつけられる。だからといって、途中から気を抜くわけにはいかない。相手が1人だとしても、100人を前にしたプレゼンと同じ気持ちで常に臨むべきだと思う。同じ話だとしても、相手によって反応のポイント違ったりして、毎回違った発見がある。アイデアは自分ではなく、相手の中にあるというのは、よく言ったものだと思う。

自分の体調や、声のトーンだって、会話の成り立ちに大きく影響する。そういった微妙な変化を感じとり、次に活かしていくことが、僕にとってはプレゼンよりも先にやるべき大切なことだと思っている。その積み重ねの先に、複数人に語りかけるプレゼンというものがあるのだと気づいた。

お酒を飲み過ぎたあとに二日酔いがやってくるように、物事には正しい順序というものがある。プレゼンのスキルを磨くことも大事だけど、それが目的になってはいけない。目の前にいるたった一人の相手の時間を、どれだけ有意義なものに出来るかということのほうが、まず最初に考えるべきことだと思う。

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