この話題について流行っているのを何気なく見ていたのだけど、そういや僕も4ヶ月で大学を中退して、起業している!という共通点があったので、久しぶりに腰を据えて便乗してみたい。ただ僕の場合、(法政大学を)中退したあとの2ヶ月後に、上にリンクした記事の @chokudai さんと同じ、慶應義塾大学に入り直すという、まぁ仮面浪人でもあるので、少し語弊はあるかもしれない。そして僕のケースでは16歳の時点ですでに起業していた点が、彼とは異なる。このブログは、批判も交じるが基本的に応援のつもりで書いている。まるで自分の過去を見ているようであるし、応援して減るものはない。
大学在学中(2009.9 – 2016.3)に考えていたことは以下のようなものだ。
- 私にとって、大学はライフスタイルの一部にすぎない
- 私にとって、大学は学ぶ場所でも人脈を作る場所でもなく、インスピレーションを得るところ
- 私にとって、大学を卒業することは大きな親孝行であり、出身高校に対する恩返しである
- 私にとって、大学の授業で退屈なときこそが、最高のアイデアが出る条件が揃っていた
私にとって、大事なことは環境ではなくて、つねに自分の主体的な選択と行動にあった。あるとき、自分が大学に拘束されている時間を計算してみたら驚愕した。平均的には、90分の授業が週10コマ、20単位。たったの15時間である。自由に使える時間が週100時間と考えたら、大学の机で拘束されている時間は15%程度しかない。高校と比べても少なすぎる。通学時間、独学、レポート、プレゼンの準備、そして研究といったものを加味しても生活に締める割合は20%程度だったので、「大学は自分のライフスタイルの一部(5分の1)」と考え、「大学は自分のプロフィール上の所属にすぎない」と割り切りを覚えた。アカデミアの世界に浸かるつもりはその時点では無かったので、残りの5分の4は何をするか考えていた。98%の人はサークル活動やアルバイト、就職活動に向けて準備しているのだろうが、自分にとっては時間の使い方が、起業家 (含ちょっとしたエンジニア) の生き方を選んだわけである。
やりたいことがあって起業するわけではなかった。その点では彼やけんすうさんと同じだと思う。小学校の卒業文集で、すでに将来の夢は経営者と書いていたから、その職業的スタイルに憧れていたのだ。だから、Labitは実際に、これまで複数の事業テーマでやってきた。
そして、最初から大学に対して何かを期待しようという発想がそもそも違うんじゃないかと思う。大学は教育ビジネスである。伝統的な大学も特に変わらなくて、結局のところ受験料・入学金・授業料、そしてOBからの寄附というビジネス組織であるので、そこには所属として乗っかるくらいの気持ちでいい。大学は本質的には、学ぶ場所ではなくて研究する場所(新たな価値や、発見をする場所)。でもそれ言うと、99.7%以上くらいの学生は存在意義がなくなるので、教授の研究の合間に、授業を通して勉強させてもらうってことになっている。僕は、大学はインスピレーションを得る場所として活用させてもらった。そして貧乏実家の親のことを考えると、入学させてもらった以上、卒業までは踏ん張った。
僕の原体験は、13歳頃にあらゆる表現ができるインターネットの可能性に魅入られて、CMSブログで趣味のサイトを立ち上げたり、簡単なWebサービスやプログラミングをかじっていた(当時はPHPとPerlとか触っていた)。12年前の思い出話である。2004年といえば、マーク・ザッカーバーグがFacebookを作っていて、日本ではmixiがオープンした。ニンテンドーDSが発売されて任天堂の株価が上がり、1万円札が福澤諭吉、5千円札が樋口一葉、千円札が野口英世になった年である。
僕がちょうどその頃に運営していたWebサイトは10ドメインくらいあって、CtoCの物々交換ができる掲示板サイトなんかが割りと長く流行り、このブログを除いた個人サイトを全て閉鎖するまで、累計2.5億PVくらい記録していた。当時はマーケティングとかファイナンスの知識も持ち合わせていなかったから、今ほど自分の仕事にレバレッジはかけられなかったけれど、気づくと大体高校3年間で1,000万円くらいキャッシュを稼いでいた。税金を納める必要があり、簿記とFPの勉強(日本国の税金は20種類以上あって、分離課税だとか区分がどうとか、いろいろ勉強になった)をして、父親の扶養を外れ、個人事業主登記を一応して(紙1枚を書いて税務署に提出しただけで、学校の宿題より簡単だった)16歳のときから所得税を納税し始めた。今でこそ税金に愛情なんて無いけれど、当時は子供心に「あぁ、自分は消費税以外で自分の国に税金を納めているんだな」と感慨深かった。実家は九州で、メールで広告掲載の案内が届いた小規模で食ってるWeb広告代理店の人と、この広告枠は月々いくらで〜、とか適当に価格表を作ってリテナー契約したりしていた。18歳未満でも参加できるASPがあればそれも選択した。
稼いだお金で300冊ほど本を買って、もっと勉強した。それ以外には今年まで8年間も愛用することになったCanon 5D MarkIIと、当時unibodyになったばかりのMacbook Pro、そして好きだった音楽とか、東京への行き来、一人で東南アジアバックパッカーとして旅するときに金を使った。ほとんど17歳〜20歳までの2、3年間で散財してしまったが、残りが今の会社の創業資金になっている。僕の高校は偏差値が40以下で、指導する先生がいなかったため独学で大学を目指すのはなかなか大変で、とりあえず高校時代、英語と数学としょだけは目線引き上げて勉強しながら、法政大学に入ることになった。そして、前述したようにちょうど学期が終わる4ヶ月(7月末付)で退学。(※実際は1週間で授業に出ていない) そして9月になって慶應大学SFCに入りなおす。すでに2回落ちていて3度目の挑戦だった。
慶應SFCは、いろいろと批判もされやすい性質の大学だけど、最先端っぽい研究をしていて面白かったし(最先端が何かとか、よく分からないが)、起業家は思ったより少なくて、ものづくりしているクリエイターとか、いわゆる天才(性格は普通)がちらほらいたし、面白かった。ちょうど自分の時期にクックパッド創業者の佐野さんによる寄附授業「起業と経営」っていうのが開講されていたり、くまモンやiDで有名なgdpの水野学さんの「ブランディングデザイン」という授業も履修した。
僕がLabitを創業したのは2011年4月で大学2年生のとき。震災の19日後である。そのときちょうど20歳で、偶然にも講談社から本を出版する機会があった。3.11の夜に作ったprayforjapan.jpのWebサイト書籍化の監修に携わり、全国で約9万部になって発生した約600万円の印税と、サイトでの微々たる広告収益+個人で毎年100万円ずつ、合計800万円くらいを東北3県の自治体に、毎年順番ずつ寄付をした。(印税寄付は2014年で終わったが、その後は毎年3月、何となく個人的に続けている)。余談だけど、少し前にこれ炎上して警察沙汰になり、被疑者20名規模に対して開示請求したりと面倒くさかった。自分の生活や仕事にちゃんと集中したくて、そういう事実無根で他人を攻撃する人たちにかまっていられなかったから、2014年〜2016年はあんまりSNSとかブログに時間を使っていなかった。
18歳〜25歳の大学在学中( @chokudai さんと同じ、慶應義塾大学環境情報学部)の期間は、入学直後の1年生から関わっていたメンター・研究室は、増井俊之先生(日本語予測変換のPOBox、Apple在籍時代にiPhoneの日本語フリック入力インターフェースの開発に従事している)と親しくさせてもらっていた。IoTという言葉がベンチャー界隈やインターネット業界で話題になるずっと前から、研究室ではネットワークに接続したデバイスが沢山あって、電子工作で遊んでいる研究生が数多くいた。研究室のドアは、Android端末の加速度センサーを使ってある動作をするとサーバーと接続したら開くようになっていたし、学生の多くがArduinoやRaspberry piで自分の部屋をセンシングして遊んでて、「実世界インターフェース」というものを身近に感じながら、自分の研究テーマを探した。
大学に入って1年間x2回休学して、ある半年間は、授業料を払ったものの1度も(本当に1度も)行くことができず、そのまま留年した。村井純だって6年かけて卒業したと言っていたので気にしなかった。大学では、生命科学( インターネット!とか起業!ばっかり考えていた僕は、DNAとかゲノム解析の学問について教養を学ぶうちに、その世界の虜になった )の授業を聞いたりしながら、自分の20代の設計を考えたり、自炊の内容を考えたり、ときどき週末つかって海外にふらっと一人で出かけたりしていた。
結局、大学は学部だけで6年半も在籍することになるが、その期間で3つの法人(株式会社,その子会社,個人で経営している合同会社)を立ち上げた。全部合わせて5年間の企業活動としての税引前純利益は、2.8億円くらいにはなっている。広告だけでも4千万円くらいは売り上げていたが、ほとんどは事業や組織を作って、価値を高めてExitしたことである。1つはリクルートグループに事業譲渡し、もう1つは、東大在学中だった友人が創業してマザーズ上場も果たしたGunosyに、分社化させて立ち上げた30人のメディア企業である子会社株式を売却した。現在の自分はというと、まだヒットサービスを出せてない自己評価はウサギのフン以下の未熟者であり、早く年商100億円だったりとか、自分の子供心の野心を反映する一つの指針として、世界1億人が使うサービスを目指していきたい。今でも自己評価10段階中1のところに有る。
起業といっても、中小企業なのか、個人事業主なのか、流行りのスタートアップ形態なのか、リスクマネーを大量に注ぎ込むハイテク系ベンチャー企業なのか、社会的意義にミッションを寄せて世界の一部をより良くしたいのか、捉え方はぜんぜん違う。ブログで月商100万稼ぐのは正直、楽勝である。そして特にカッコよくはない。女の子にモテるかもしれないし、好きなものも買えるかもしれないけど、自分の魂は震えない。
ブログでもでもなんでも良いけれど、世の中の大抵のことは、夢中になればなんだって出来るはずだ。好きこそものの上手なれ、である。毎日、業績(個人収入)が上がることにモチベーションを感じていたら、そしてそれが中心に据えた課題であり続ければ、そりゃ稼げるようになる。無いセンスはスキルでも補えるが、センスや人格を築くこと、インスピレーションを得られる場所として、僕にとって大学というのは価値はあった。僕だって、個人で数十万円くらい稼いで、不労所得で人生楽勝じゃんみたいな時期が、中学生の頃にあった。でも、それは資本主義の中のアリのフンのようなもので、社会に遊ばれているだけに過ぎなかったんだと思う。アリのフンがどういうものか知らないけれど。自分が稼げるということは、その上流にいる誰かはもっと稼いでいるということである。
思えば、今年3月に大学を卒業してやっと半年だ。同じ年に入学した友達は、みんな社会人3年目くらいになって、そろそろ大きなプロジェクトを任されたり、あるいは独立したり、成長し始めたスタートアップに数人目のメンバーとしてジョインしたりしている。ちょっと楽しくなってきたんじゃないの。そして、常につきまとう強迫観念があって、それは焦りだ。起業家の仕事は、世界観を語り、高い目標を掲げて、現在とのギャップを埋めていく作業である。色々な試練があるから、ストレス耐性か、あるいは楽観主義である必要がある。体も鍛えた方がいい。焦りを感じる25歳を過ぎると、運動と瞑想と野菜と動物とのふれあいは、本当に大切である。
僕たちは、マーク・ザッカーバーグでも、エヴァン・スピーゲルでも無いのである。残念である。それは彼もそうだし、多くの人がそうだった。起業家の中退理由として、起業準備のためというのはダサいではないか。自分が好きで始めたものが気づいたら1000万以上の人に支持され、毎月加速度的に伸びており、ちゃんとしたVCが20億円投資したいと申し出てきたり、大学に使う5分の1のリソースさえ捻出できない、っていう状況のときくらいでいい。自分が大学生活に合わなかった、あるいは大学が自分のレベルに合わなかった場合はよくある。だけれども、起業を中退の理由付けにしてはいけない。そういう場合は、僕のように大学を変えてみるのも一つの手である。(留学や、1つ上のランクに来年入り直せばいい)
僕の大学最後の1年間は、友達はみんな卒業しており、入ってくる後輩が1996年生まれとか若すぎィって感じだったし、週に1日だけ、仕事をする合間に一人で大学に通っていて寂しかったのは事実である。それを乗り越えて、尊敬できる先生のもとで論文を書き上げ、学位をもらってよかった。だけど慶應というのは、やっぱり入ったときから出るときまで、田舎者の僕には似合わなかったようで、日吉で行われた卒業式にいったときは、僕だけいつものパーカーの私服でさ。村井純の話を聴きに30分くらい一人ふらっと行って、帰った。
そして長い大学生活が、非常にあっさりと幕を綴じた。思い出として語れる母校が一つ増えるのは悪くないなと思ったよ。次に行くことがあれば、授業のゲストとして呼ばれるときだろう。目標掲げて、仕事を続けて結果を出していけば、いずれそうなるのは分かっている。
Author: @mocchicc
2016年9月21日 at 5:28 PM
ブログ読ませていただきました。
渋谷のBOOK LAB TOKYO 立ち上げ時に@mocchiccさんを知りました。
どうしても表面的な部分しか知らずに、Twitterを拝見させていただいておりました。今回このようなブログを拝見させていただいて、私個人も負けてられないというような思いがこみ上げてきました。勝手ではありますが、これからも応援しています。